| 室町時代に入ると、当時のヘアスタイル?として月代(さかやき)を剃る露頭が定着しはじめておりまして、月代を剃る際に剃刀をはじめて用いた人物は織田信長と言われております。ただ、一般的にはまだまだ剃刀は高価なものだった為に庶民などは毛抜きで月代を行っていたようです・・痛そすですね。当時、ヒゲはまだ公家はヒゲをたくわえないのが普通でしたが、役人のなかには威厳を整えるために「かつらひげ」といわれるつけひげをしたこともありました。武家もヒゲを抜いたりして、やはり威厳を整えるために形を整えたりしました。この時、あごヒゲは胄の緒の都合からたくわえた場合が多かったようです。 戦国時代になると、ヒゲは強さの象徴として賛美されはじめます。特に大ヒゲを「ひげまん」などといい当時の武将がよく好みました。あの豊臣秀吉でさえつくりヒゲをたくわえたと伝えられております。ヒゲを生やすことで、観るものの印象に凄みを感じさせ、さらには顔色を隠すことにより本心を見抜かれにくくするヒゲの一面が時代に好まれたのでしょう。そして、だんだんと世が落ち着くにつれヒゲは一般的にも抜く作業から、剃刀で剃り整えるようになったといわれております。 |
| 貞享元禄(1684〜1704)の時代になると、庶民の間でもヒゲが大流行。ある意味では現代よりも熱狂的で、ヒゲの薄い人は「作りヒゲ」という松脂を加えて固めたモノを取り付けたり、なんと墨でヒゲを顔に描く者までおりました。そのヒゲの流行はだんだんとエスカレートし、カマヒゲと呼ばれるような立派なタイプも現れ,当時の町には様々なヒゲで溢れかえったことが想像できます。 この流行を「害」と考えた徳川幕府は1670年1686年に老人以外がヒゲをたくわえることを禁止する禁令「大ヒゲ禁止令」をだしました。最終的には刑罰をも科す徹底ぶりで、以後江戸時代からは武士などから威風堂々としたヒゲは姿を消すことになります。 |
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明治時代から近代まで
明治時代になって、文明開化の気運が起こり欧米文化が浸透し始めると庶民にもヒゲを生やすことが再び流行いたしました。明治初期のヒゲは官員、そして学者、教員と当時威厳を持つ職業、立場の人たちまで及びました。戦国時代とは違い、単にヒゲを生やすだけでなくその人の顔形に合ううように工夫されておりました。 日露戦争、そして世界大戦と日本もまた動乱の時代に突入していくことになりますが、皮肉にもここでもヒゲは威厳の象徴としてさらに脚光をあびることになります。その際、軍人の間ではドイツ皇帝ウ”ィルヘルム2世をまねた「カイゼルひげ」がにわかに流行しております。 そして、終戦後もまだヒゲは威厳、風格の象徴として文化人、財界人などにも好まれております。しかしその反面、高度成長期になり会社に勤めるサラリーマンをはじめとする人々の間では、会社規則、職場などでヒゲを禁止する傾向が強くなり徐々に姿を消していきます。 そしてバブル時代が終焉をむかえ、それまでの組織型経済から成果主義的ともいえる個人主義の時代を迎えます。その現代の日本では若者また高度成長期を支えた団塊世代の方々にヒゲの流行の兆しがみえます。これは戦国時代とはもちろん明治時代のヒゲとも違い、新たなヒゲの財代の幕開けです。 |